価格 :\ 490 (税込)
著者 :近藤 紘一
発売日 :1981-01
発売会社 :文藝春秋
評価 :★★★★★ ( 14 のレビューがあります)
ジャンル :文庫
可能時期 :通常24時間以内に発送
ASIN :4167269015
読んだときは中学生だったので、全部しっかりわかったかと言えば、そうではなかった。今読み返せばそれがわかるが、わかる範囲でさえ、いろいろ衝撃を受けた著作だった。亡くなったときは心底、惜しいと思った記憶がある。
最初の奥様を亡くしておられるから、ベトナムで出会った奥様とユンちゃんに注ぐ目は限りなく優しい。ベトナム語も日本語もフランス語も中途半端な娘に対する過度なほどの気配りは、当時はピンとこなかったが、今になってよくわかる。人間、言葉でものを考えるのだということが、実感できるようになったから。国際教育も何も、まず日本語をきちんと学んでからだと思うのは、この方の影響だと思う。
彼は、いきなりパリにマンションを買った奥様に、ご友人から借金をして送金している。いつになったら返してくれるのかと問われて、「ソ連が北方領土を返したら返す」と答えておられた。これを読んで以来、ベルリンの壁が崩れたとき、ソ連が消滅してロシアになったとき、世界情勢が大きく動くたびに、何となく近藤氏のことが頭に浮かぶ。「ベルリンの壁がなくなったら」って言わなくてよかったね、近藤さん。
私自身ベトナムを旅行し、ベトナム人とはどうゆう人々なのかわからなくなった時にこの本を読みました。著者のベトナム人の妻を通してベトナム人の基本的な思考回路がわかるし、今の時代が忘れかけている人や動物、植物に対する優しさを思い出させてくれた。そして日本に近藤 紘一という真の大人がいたことを誇りに思える作品である。
ベトナム人子連れ女性と結婚し、日本でのその生活振りを記した本。
南ベトナムに国籍を置いていた子連れの女性と戦争末期に結婚し、必然的に生活をせざる得なかったこの家族の物語は好奇心を誘うし、本書の文章もおもしろい。
ベトナムと日本との文化の違い、飼っていた兎を調理して食べてしまうほど、ベトナム女性はパワフルでどこかコミカルだ。
後半は沖縄に漂着したボートピープルの取材を通して、独自の主観からベトナムの未来を考察しているが、それが見事に当たっている。
著者は文中にベトナムはすでに修正主義が始まっている予測した。
著者が予言した通り、ベトナムの修正主義は戦後11年後の1886年に始まり、今開花しようとしている。戦後すぐに修正主義を予想した著者の考察には敬意を表せざる得ない。
著者は文中後半に下記のような文章を書いている
「かりに私自身があの土地に生まれ育ったら、時の政治体制や社会形態にかかわりなく、世界のどこを放浪してもやはりあの地域の地表にたちこめた、自然と人間の濃密な生命力に対して郷愁を抱き続けるだろう。(中略)あの茶色い水をたたえるメコン河の、優しく悠久な、そして広大すぎて少々間の抜けたような流れを思い浮かべるのではないだろうか。」
生まれ育たなくても、一度あの土地を旅すれば、日本人であれば誰もが郷愁の念を抱くことは著者も知っていたに違いない。
生とは。
偶然の出会いによって導かれるシンプルなもの。
緩やかだったり激しかったりするけど、とにかく流れにのって生きていくしかないんですね。そうして出会ったヒトと家族になり、生きていくという人生のさわやかな醍醐味を感じさせる本。
いや、しみじみと素晴らしい本です。
81年に書かれて、25年後に読んだわけですが、この本は世紀を超えてます。
本書は著者の2作目にあたるとともに「妻と娘」シリーズの最初の作品である。
著者の処女作はベトナム戦争の終結であるサイゴン陥落迄の2週間を追った「サイゴンのいちばん長い日」である。著者は当時サンケイ新聞のサイゴン特派員としてこの作品を書いたのだが、そこにはベトナム国民(一般市民も軍人も政府高官も全て)の視点からみたベトナム戦争とサイゴン陥落が描かれている。
著者はそのサイゴン駐在時にちょっとしたきっかけから娘連れのベトナム人女性と結婚をしている。そして戦争終結後3人は東京で暮らし始める。
この作品では、日本人とは文化も考え方も違うベトナム人の妻娘との東京での日常生活の様子が描かれるとともに、ベトナム人の国民性、例えば食生活、親族との付き合い等が彼らの視線から描かれている。日本とベトナムの国民性あるいは文化の違いを知るのに恰好の作品ともなっている。
著者が妻と娘を見つめる眼差しはとてもやさしい。ベトナムと日本に対しても同様である。すべてを受け入れる人物である。
著者の文体は新聞記者出身のノンフィクション作家としては他の作家のそれとはチョット異なる。いい意味で小説的ともいえる情感豊かでユーモア溢れる文体である。この作品は彼の人柄と文体があわさることによって生まれた素晴らしい作品である。